大国主大神が鎮まる出雲大社@島根県出雲市

いろいろ探訪記
写真1 出雲大社境内の大国主大神像「因幡の白兎伝説」

 昔は、杵築大社きづきのおおやしろと呼ばれていました。杵築大社の巨大神殿の造営に関わる伝承は多く、「古事記」(712年)や「日本書記」(720年)には、大国主大神から天照大神への国譲りの神話伝承として書かれ、大国主大神が鎮まる神殿として天照大神の子孫が造営したとのことです。

 「出雲風土記」(713年)にも、特別に高く大きな御本殿のことが記されています。出雲大社の社伝では、その高さは上古には32丈(約96m)、中古は16丈(約48m)、その後は8丈(約24m)であったと伝えられています。現在の御本殿の高さは、約24mです。

 平安時代の970年に書かれた「口遊くちずさみ」(970年、源為憲著)には、当時の3大建築物(塔を除く)があげられており、一番が雲太うんた(出雲大社御本殿)、二番が和仁わに(東大寺大仏殿)、三番が京三きょうさん(平安京大極殿)とされ、出雲大社御本殿が日本一高い建築物と伝えられています。

 金輪御造営差図かなわごぞうえいさしず(出雲國造千家家所蔵)によると、古代の御本殿は一辺が4丈(約12m)の正方形で、3本の柱を鉄の輪で束ねて一本とした合計9本の大柱で支えられていました。本殿の高さは記されていませんが、正面階段の長さが「引橋長一町(約109m)」と記されています。
 しかし、この差図は単なる想像上・理想上の伝承図とされ、高大な御本殿の存在も疑問視されてきました。現在の御本殿は一辺が10.9mの正方形で、これを支える6本の側柱は直径0.73mで、2本の宇豆柱は直径0.85m、心御柱は直径1.09mです。

 2000年4月、出雲大社境内の工事中に、3本組の巨大な杉の柱痕が地下約2mから発掘されました。平安末期(約800~900年前)の出雲大社御本殿の宇豆柱うづばしらと考えられ、1本の直径が1.2~1.3mの杉柱を3本組みとし、総直径3mに相当する巨大な柱です。
 この宇豆柱を見るため大社に隣接した「島根県立古代出雲歴史博物館」に行きました。調査では9本柱のうち宇豆柱、心御柱しんのみはしら側柱がわばしらの3柱を確認した後、埋め戻されて、現在は3本組の柱痕が御本殿前の石畳の3か所に赤丸印で示されています。

 この巨大な柱痕の発見により、これまで疑問視されてきた出雲大社の高大な本殿の存在が再認識され、現在は東大寺大仏殿よりも高い16丈説が有望視されています。高さ16丈(約48m)とは、10階建て超のビルに相当する高さです。
 このような高大な木造構造物が、今から1000年以上も前に建てられたことは驚くべきことです。この出雲大社本殿の復元に関しては大林組のプロジェクトチームにより構造解析が行われ、御本殿の高さ48mは無理な木造建物ではないことが明らかにされています。

図1 出雲大社御本殿の平面図
写真2 心御柱の発掘調査時の写真
 出典:出雲大社社務所資料(2001.1)
図2 平安時代の出雲大社御本殿復元図
出典:出雲大社社務所資料(2001.12)

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