1966年7月、日本で初めて日本原子力発電の東海発電所が商業用原子力発電所として営業運転を開始した。出力:16.6万kWのマグノックス炉が、英国GEと富士電機グループにより建設された。
その後、ガス炉に比べてコンパクトで建設費が安い軽水炉の導入が始まり、米国GEからの技術導入で沸騰水型原子炉(BWR)、米国WHからの技術導入で加圧水型原子炉(PWR)の設計開発が進められた。
日本の原発導入
1966年7月、日本で初めて日本原子力発電の東海発電所が商業用原子力発電所の営業運転を開始した。英国の天然ウランを燃料としたマグノックス炉(出力:16.6万kW)が、英国GEと富士電機グループにより建設された。1998年3月に32年間の営業運転を終了した。
その後、ガス炉に比べてコンパクトで建設費が安い軽水炉が、将来の改良・大型化を期待できるとして注目され、国内の電力会社は米国開発の軽水炉を採用する。すなわち、米国ウェスチングハウス(WH)の加圧水型炉(PWR)と、米国GEの沸騰水型炉(BWR)の建設が始まった。
1970年3月、日本原子力発電の敦賀発電所1号機(BWR、出力:35.7万kW)をGE・日立グループが建設し、営業運転を開始した。1970年11月、関西電力の美浜発電所1号機(PWR、出力:34万kW)を三菱重工グループが建設し、営業運転を開始した。
1971年3月には東京電力の福島第一原子力発電所1号機(BWR、出力46万kW)をGE・東芝グループが建設し、営業運転開始する。その後、国内の原発建設が本格化した。
新規プラントの建設と並行して、1975年から通商産業省(現、経済産業省)を中心に、電力会社、原子炉メーカー、研究機関が協力して、国産技術による軽水炉の安全性・運転保守性などの改良・標準化が行われた。BWRとPWR共に、出力が80万kW級から110万kW級へと大型化が進められた。
1981年からは負荷追従性と炉心性能の改善、コンパクト化と建設期間の短縮化を目指し、日本型軽水炉である改良沸騰水型原子炉(ABWR)および改良加圧水型原子炉(APWR)の設計開発が進められた。
ABWRは、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所6号機(出力:135.6万kW)がGE・東芝・日立のジョイントベンチャーで建設され、1996年11月に営業運転を開始した。
その後、1997年7月に柏崎刈羽原子力発電所7号機(出力:135.6万kW)、2005年1月に中部電力の浜岡5号機(138万kW)、2006年3月に北陸電力の志賀2号機(135.8万kW)が相次いで営業運転を開始した。
一方、APWRは、WHからの技術導入で三菱重工グループによる建設が、日本原子力発電の敦賀原子力発電所3,4号機(各出力:153.8万kW)で計画され、準備工事により敷地造成などを終えたが、2011年3月の福島第一原電事故の影響で中断された。
日本の原子力発電所は、1973年と1979年の石油ショック以降、1979年のスリーマイル島原発事故、1986年のチョルノービリ原発事故で、一時的に建設が停滞したものの発電容量は順調に増加した。
バブル崩壊後の1990年代後半~2000年代初めには、長期の平成不況に陥り原発建設も停滞する。ピークの2004年には53基(BWR:30基、PWR:23基)体制となり、発電設備容量:4712.2万kWで総発電設備容量の17%、発電電力量:2824.42億kWhで総発電電力量の30%に達した。
2011年3月の福島第一原発事故後、2012年9月に「原子力規制委員会」が新たに発足し、原発再稼働に向けた安全確保のため、2013年7月に「新規制基準」が導入され厳しい安全対策を電力会社に義務付けた。その結果、老朽原発の廃炉が進められ、規制委員会の審査をクリアした原発から順次再稼働が始まっている。
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