都市ガスの合成メタンへの切り換え(Ⅰ)

火力発電

 過去を振り返ると、都市ガスの原料を「石炭➡石油➡天然ガス」と転換させてきた主原因は、都市ガスの需要増環境負荷の低減にある。
 パリ協定の採択以降、地球規模での環境負荷低減が声高に叫ばれ、我が国も「2050年カーボンニュートラル」を宣言し、現在は「天然ガス➡合成ガス」への転換が進められようとしている。2050年には天然ガス並みのコスト低減をめざすとしているが、大丈夫か?

都市ガスの原料切り換えの歴史

 1872年(明治5年10月)、現在の横浜市関内の馬車道通りから本町通りを経て神奈川県庁までガス灯が灯り、日本最初のガス事業が誕生した。この都市ガスは、横浜の伊勢山下のガス製造工場において、石炭を原料として製造された。

 関東大震災や第二次世界大戦を経て1950年代に入ると、高度経済成長により都市ガス需要が急増し、年率10数%の勢いで利用戸数が増え、1960年(昭和35年)には約450万戸に達した。そのため、一部で熱量で、大気汚染物質であるSOx、NOxの排出が少ない石油が原料として使われる。

 1960年代には、東京ガスが都市ガスの熱量を、これまでの3600kcal/m3から5000kcal/m3にカロリーアップする熱量変更事業を実施し、増え続ける需要に対応した。ほぼ同時期に、天然ガスを冷却して液化することで体積を縮小し、海外からタンカーで輸入する技術開発が進められた。

図1 環境負荷低減のために石炭➡石油➡天然ガスへと原料の切り換えが進められた
出典:CO₂は「火力発電所待機影響評価技術実証調査報告書」(1990年3月)/エネルギー総合工学研究所
SOx、NOxは「natural gas prospects」(1986) /OECD-IEA

 1969年(昭和44年)、東京ガスが日本で初めて液化天然ガス(LNG)を輸入し、都市ガスの原料として使用を始めた。1972年(昭和47年)から、急増するガス需要と大気汚染対策として5000kcal/m3から11000kcal/m3へのカロリーアップを天然ガス転換事業として進めた。
 一軒一軒のガス器具の調整対応など大変な苦労があったようで、事業が完了するのは12年後の1988年(昭和63年)であった。

 天然ガス転換事業は、大阪ガスが1975年(昭和50年)から、東邦ガスは1978年(昭和53年)から、西部ガスは1989年(平成元年)から開始した。その後、日本ガス協会などが中心となり事業を推進した結果、2010年(平成22年)には、全国の都市ガス事業者が現行の高カロリーガス(13A)に移行した。
 その後、2018年度で、都市ガスの原料に占める輸入LNGの割合は91.7%に達した。残りは、石油系ガスとバイオガスである。

図2 原料別都市ガス生産・購入量の推移 出典:経済産業省エネルギー白書2020

 また、 2020年10月、政府は「2050年カーボンニュートラル」をめざすと宣言した。これにより、「天然ガス➡合成ガス」への転換が動き始めた。

 都市ガスの原料を「石炭➡石油➡天然ガス」と転換させた主原因は、都市ガスの需要増環境負荷の低減である。パリ協定の採択以降、地球規模での環境負荷低減が声高に叫ばれ、政府は「2050年カーボンニュートラル」を宣言し、現在は「天然ガス➡合成ガス」への転換が進められようとしている。
 過去を振り返れば、当然の流れのように見えるが、合成ガスへの転換は上手く進むであろうか?

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